移住と農業

大学時代のサークル仲間と共に新規就農

8年前から日光市塩野室野の農地2反部でイチゴ栽培を行う池田農園。そのメンバーのひとり、荒川聡さんは青森県の出身です。日光市で農業を始めたのは、なぜだったのでしょうか。

池田農園代表の池田剛志さんと荒川さんは大学時代のサークル仲間。荒川さんは卒業後医薬品販売会社に就職し、九州や関西方面で4年間勤務していました。その一方でサークル仲間とは「なにか(ビジネスを)始めようぜ」と、しばしば集まって語り合う日々が続きました。そして、仲間の池田さんが実家の日光に土地を所有していたことから、農業を始めることに。創業メンバーは池田さんと荒川さんを合わせて4名。当時栽培者がほとんどいなかった日光でイチゴ栽培に着手しました。

「単純に、とちぎといえばイチゴでしょ!と思って決めたんです。当時はまだ日光では栽培者がいなかったので、チャンスだ!なんて思っていました。でも、今は作る人が増えてきましたけどね」と笑う荒川さん。農業経験がない荒川さんはまず栃木県農業大学校の「とちぎ未来塾」で就農指導を受けました。

作っても、売り方も売り先もわからなかった

いよいよ就農。でも、まだ課題がありました。

「作物を作ることはできても、それをどこに売るか、ブランド化をどうするかなどが、皆目わからなかったんです」と振り返る荒川さん。

代表の池田さんは農学部の出身。実家は5代続く種苗店ですが農家ではありません。でも、販路を模索する中で、地元商工会に池田さんが加盟していたことが幸いしました。商工業者とのつながりによって徐々に販路が広がり、現在ではJAへの出荷のほか菓子店や弁当店、直売所などで販売するに至っています。また、池田農園ではイチゴのほかラッキョウやショウガ、ニンニクも栽培していたことから地元漬物店から引き合いがあり、今年はラッキョウの作付けを増やす予定だとか。そんな荒川さんは、移住して就農するうえで「人との縁が最も重要」と断言します。

「ぼくらは池田さんの土地がありましたが、移住者には土地探しが大変だと思います。次に資金面や人との縁でしょうね。ぼくらは地元の人たちの温かさ、優しさに助けられました。池田さんが地元なのでみんなが応援してくれる。本当にありがたかったです」

強い意志”と“美味しかった”の声に支えられて

現在、池田農園のメンバーは荒川さんと池田さんの2名。1名は辞め、もうひとりは実家で就農するために栃木県を離れました。「農業で食べて行く」ことは、荒川さんにとって想像以上に厳しいものでした。11月中旬から5月半ばまでは、毎日休みなく朝6時から11時近くまでの収穫が続きます。1日でも収穫を怠ると熟しすぎたイチゴは商品として出荷できず、泣く泣く1日分の収穫を捨てたこともあったそうです。

「栽培技術は必要ですが、経験を重ねるしかない部分もあります。毎年同じ気候はないし、農業は1年に1作しかできないので、まだまだ経験が足りません」。

そんな荒川さんのやりがいは、やはり消費者からの声でした。

「冷涼な日光だからこそ寒暖差を活かした甘いイチゴを作れるのが強みです。直売所で売っている商品を買って、美味しかったからと直接注文してくださる方がいました。嬉しいですよね。やはり、何ごとも自分で決めて実行し、成果を得られることが農業の一番の魅力です」と微笑む荒川さん。でも、新たに就農する人には厳しい言葉も。

「農業は誰でもできます。でも、それで食べて行くのは大変なことです。一度始めたら簡単には辞められませんし、強い意志を持つことが必要だと思います」と言い切ります。今後はハウスをさらに増設し、人も雇用して経営面の安定化を目指しているという荒川さん。日光でのイチゴ栽培の先駆けとして、今年も挑戦が続きます。

荒川聡さん(37歳)
プロフィール
青森県出身。山形大学 理学部 生物学科にて学ぶ。卒業後は医薬品販売会社に4年間勤めたのち、8年前に大学時代のサークル仲間と共に栃木県で池田農園を立ち上げ、就農。当時まだ日光市で栽培実績がほとんどなかったイチゴ栽培に取組む。