日光の農業を担うネクストジェネレーション

幼い頃は、農業にネガティブなイメージしかなかった

古くからこの地で農業を営んできた八木澤家。父親は郵便局員で働く兼業農家でした。出勤前、帰宅後、休日も農作業をしていたという父の姿を見て育った八木澤さんは、家族でのお出かけすら叶わない生活に寂しさを感じていました。また、農業機械の購入や修理、肥料、農薬などの購入にかかる費用も莫大だったことから、「農業さえしていなければ、もっと明るい生活が築けるのに」と思っていたそうです。

中学時代に煩った眼科疾患をきっかけに看護師の道を進んだ裕史さんは、休日には実家の農業を手伝うという生活を続け、きつく辛い農業の仕事を実感するにつけ、「看護師になってよかったと思っていました」と20代を振り返ります。

そんな八木澤さんでしたが日々農作業を手伝ううちに、もやもやとした気持ちが募っていきました。

「農業者の高齢化と耕作放棄地の多さを見るにつけ、この土地は農業を諦めたら一体どうなってしまうんだろうって感じたんです。この土地の集まりが国だからこそ、国の行く末まで不安に思えてきました」。

「明倫会 今市病院」で看護師として働いてきた八木澤さんでしたが「病院には私の替わりはいる。でも、農業には私の替わりがいないのではないか」という使命感が次第に湧いてきました。そこで病院に事情を説明して夜勤専門に転換をしてもらい、昼は農業、夜は看護師という生きかたを選択。ついに本格的に就農しました。

農業があるからこそ、里山の自然環境が維持されている

2017年に日光八木澤ファームを設立した八木澤裕史さん。父親の清次さんとともに、27haの広大な田んぼで水稲、9haの畑でソバ、そして10aの畑でハバネロを作っています。また、近在の農家が高齢でリタイヤする中、彼らの田んぼを担うことも増えていきました。

「美味しいものができればお客さまが喜んでくれる。農産物を通じてお客様も自分も喜べるという心の充足感があります」と語る八木澤さん。本腰を入れて取組むうち、農地があるからこそ存在する里山の自然環境の魅力にも目を向けるようになりました。高低差がある不利な環境下で築き上げられたこの地域の棚田は、その美しい景観から棚田百選にも選ばれています。しかし、その一方で近年は鳥獣被害に悩まされています。山から資源を採取しなくなり、林業不振も相まって人が山に入らなくなったことも一因です。防護柵を設置していたにもかかわらず、八木澤さんの水稲も大きな被害を受けました。個体数の調整も必要であることを理解した八木澤さんは、狩猟免許も取得しました。

農業は種から人の胃までをプロデュースする仕事

「ひと言で言って、農業は儲かる仕事とは言えません。でも、未来のために必要な職業であることは確かです。それに、この棚田の景観を守るためにも継続していかなければ、という気持ちは変わりません。ただ、それだけではいけないと感じています。やるからには“稼げる農業”にしていかねばならないのです」と強い決意をにじませる八木澤さん。そのために取組み始めたのが農産物の六次産業化でした。

「農業を継続するためには、その収入で生活をしていくことが必要です。私は農業を種から人の胃までプロデュースする仕事と捉えて付加価値をつけ、生産・加工・販売を通じて消費者との関係性を構築し、新たなニーズを探っていきたいのです」。

この棚田を外国人観光客にも知ってもらいたい

日光市は農業における課題は多いものの、外国人観光客が多く訪れる地域であることは優位性があります。その利点を生かして、この地域の景観を成している棚田をPRしたいと八木澤さんは考えています。

「棚田は作業効率や生産量からいえば不利な農地です。広い水田がいいのは百も承知です。でも、外国人にとって日本の原風景である棚田の景観は魅力的に映ることでしょう。今後は棚田の景観や農産物も含めて日光市のよいものを発掘し、伝えていきたいと思っています」。

課題に目を背けず、力強く一歩一歩踏み出す八木澤裕史さん。「農業はやりがいがある仕事であることは確かです」と結びました。

八木澤 裕史さん(39歳)
プロフィール
日光市瀬尾出身。看護師として働く傍ら実家の農業を手伝い、2017年に日光八木澤ファーム設立。米、蕎麦、ハバネロを生産。昼間は農業、夜間は看護師の仕事をこなす多忙な日々ながら、六次産業化にも積極的に取組む。