農業継承を成功する秘訣とは?

ぶつかる時もあるが、父親の長年の経験から学びたい

「私が農業をやろうという意識を持ち始めたのはごく最近のことです」

父親が兼業農家で休みなく働いていたことから、寂しさを感じて育ったという八木澤さん。幼い頃は農業を嫌っていたそうです。獨協医科大学附属看護専門学校を卒業後、看護師の職を得ましたが実家の農業は手伝い続けていました。しかし、高齢の農業者の増加や耕作放棄地を見続けるうち、地域の将来を案じた八木澤さんは「なんとかしなくては」という思いに駆られ、2017年に「日光八木澤ファーム」を設立。本格的に就農しました。父の清次さんをはじめ、ご家族皆さんで米27ha、蕎麦9haを生産しています。また、最近ハバネロの生産も10aほど始めました。

「古くから伝わる農業を継承しているのが父で、“守りの代表”。私は新しいものをどんどん取り入れて行く“攻めの代表”です」と意欲的な八木澤さんですが、親子ゆえに意見の相違を認めたくない時もあるそうです。でも、時代の変化がめまぐるしい現在、農業も変わって行かねばならないと思う一方で、これまでの農業を全て変えることがベストではないとも考えています。

「今やIT技術によって沢山の情報をすばやく収集できます。でも、情報には間違いもあるし、なにしろ農業は自然相手ですから予想通りにはいきません。だから、長年就農してきた父の経験には足元にも及びません。データは集められても、それだけで片づけられない勘があります。温故知新という言葉通り、私は父からそれを受け継ぎたいと思っています」。

六次産業化で消費者との関係性を築き、稼げる農業へ

八木澤さんは、父親世代の農業者がこれまでしたことのない「農産物の六次産業化」を手がけています。しかし、生産のみを行って来た農家にとって商品開発や販路開拓は未経験。容易なことではありませんが、苦戦する生産者も多い中、八木澤さんは前向きに捉えています。

「ある日、ぼんやり棚田を眺めていたら『この景色はお金になる』と思ったんです。つまり、そこに付加価値をつけることが必要ではないかと思いました。お米はなじみの農家から買う人が多いですが、六次産業化によって消費者との関係性を築くことで、なじみの間柄になりうる可能性がある。確かに農家にとっては大変なことですが、やってみないで文句は言えないでしょう。だから、自分は農家を引っ張って行くつもりでやっています」と意識変革を訴えます。

現在、加工品ではお米のジェラートやそば粉のお菓子などを作っている八木澤さん。ジェラートは評判も良く、好調な売れ行きです。また、「日光ハバネロ」は自分だけでなく地域の農業者と一緒に生産して地域を盛り上げたいと願い、商標登録を出願中だそうです。

地域住民とはもとより、様々な業種の人とコネクトしてほしい

「日本は世界的に見て食料自給率が低いです。米ぐらい作り続けて行かないと、いずれ食べるものを確保できなくなりますよ」と将来に向けて警鐘を鳴らす八木澤さん。まさか食糧危機なんて、と思うなかれ。生産者がいなくなり、農業が衰退した先をリアルに思い描けるのは現場にいる農業者だからこそ。そのために、これから就農する人に対して求めるのは「つながる力」だと強調します。

「地域住民と仲良くするのはもちろん大切です。でもこれからは農業以外の色んな職種の人とつながるコネクト力が、とても重要になってくると思います。悠々自適に農業を…、なんて通用しません」とエールを送ります。

「日光市は職員の方がとても親身になって動いてくれるのでありがたいです。今後さらに官民一体で農業を盛り上げていくことが必要だと思っています」と話す八木澤さん。その横顔には、この地域で暮し続けて行く決意と覚悟が映っていました。

八木澤 裕史さん(39歳)
プロフィール
日光市瀬尾出身。看護師として働く傍ら実家の農業を手伝い、2017年に日光八木澤ファーム設立。米、蕎麦、ハバネロを生産。昼間は農業、夜間は看護師の仕事をこなす多忙な日々ながら、六次産業化にも積極的に取組む。