霧降高原で牧場とキャンプ場を経営
日光市所野で暮らす山本智之さんは、祖父の代から一家で酪農業を営んでいました。途中で酪農から肉牛の肥育にシフトした山本家でしたが、1991年の牛肉輸入自由化が大きな打撃を与えました。国産牛肉の取引価格は下落。日本の畜産農家の多くが収入減に苦しみ、山本家も畜産を辞める決断をしました。
山本家は畜産とともに、約50年前の1969年から祖父が始めたキャンプ場の経営も行っていました。1960年代は日本で初めてキャンプブームが起きた頃です。リゾート地、霧降高原というロケーションに牧場のあるキャンプ場は人気を呼びました。それからおよそ30年後、1990年代に入るとアウトドア人口が増え、第二次キャンプブームが到来。1994年に畜産を辞めた山本家はキャンプ場の経営を主体にすることにしました。現在キャンプ場はお父さん、お母さん、智之さんの奥さん、智之さんの弟さん、ご長男の家族6人で運営しています。
さまざまな技能・資格を駆使して生きる力が必要
山本さんのキャンプ場は霧降高原にあるため、積雪のある冬季は休業しています。その間、山本さんは市から建設業が受託した除雪の仕事を請け負っています。
「除雪作業車輛を使っての仕事のため、大型特殊免許を持っています。また、林業士でもある父や息子とともに、草刈りや樹木の伐採など林業関係の仕事をすることもあります」と話す山本さん。そのため、クレーンやフォークリフト、グラップルなどの特殊車輛を扱う資格も保有しているそうです。さらに、キャンプ場では食事も提供するため、調理師の資格も持っています。日光は気候が厳しい地域ですが、こうした道路や山林整備に関わる仕事を、農業従事者や山本さんのような自営業の人が担い、地域の暮らしが成り立っているともいえるでしょう。山本さんはキャンプ場がオフシーズンの時期でもこれらの技能を駆使しています。
農・林業に関わる仕事で地域の担い手として期待
日光市では、農業者や林家の高齢化や後継者不足が大きな課題となっています。若い人は進学で市外に出て行くと、戻って来ないという現状があります。
「でも、林業には後継者の育成も含めて期待をしています。最近では高性能林業機械も登場して作業性も安全性も格段に向上しています。山林を持つ人は後継者がいない場合が多いので、そうした人に替わって山を守っていく仕事も必要です」
山本さんの長男も県の林業カレッジで研修を受けました。歴史ある林業地でもある日光市はこうした技能を持つ人材が必要とされる地域でもあるのです。
観光と農業を融合して宿泊人口を増やしたい
また、山本さんは観光地という特性を活かした農業のありかたを模索しています。
「外国人観光客は益々増えていますが、課題もあります。日帰り客が多いため、地域にお金が落ちないのです。観光地としての立地を活かして、農業と観光を融合した宿泊体験などを充実させていきたいですね」と期待をかけています。実際に山本さんのキャンプ場では、そば打ち体験館をキャンプ場に併設しており、地元産のそば粉を使って祖母から伝授された打ち方を体験者に指導するなど、郷土の食体験を提供しています。
また、息子さんは県の農業大学校でトマト栽培を研究していました。そこで、山本さんはいずれその技術を活かして体験型の農園を併設できれば、と夢を語ってくれました。厳しい気候と時代の変化に揉まれながらも、農・林業、土木などさまざまな技を駆使してたくましく生きてきた山本一家。そこには、日光という土地への深い愛着を感じることができました。
- 山本智之さん(48歳)
- プロフィール
日光市所野出身。祖父の代から牧場を経営。酪農から肥育にシフトするも、牛肉輸入自由化を契機に牧場経営を辞め、並行して行っていたキャンプ場経営を主体にする。オフシーズンには林業や除雪など地域の仕事を行う